住友商事、MBA、ゴールドマン・サックスを経て、教育事業をスタート。「世界中の人々の可能性を最大化」をミッションに掲げる入住壽彦さん

アメリカ合衆国

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事業家・入住壽彦 さん

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東京、サンフランシスコ、ニューヨークなどに「Alpha Academy」を設立し、教育・キャリアなどの領域でサポートを行っている入住さん。住友商事、シカゴ大学MBA、ゴールドマン・サックス、という入住さん自身のキャリアに裏打ちされた「Alpha Academy」の指導は、多くの利用者を欧米トップスクールでのMBA合格や国内外の人気企業内定などに導いているという。現在もシリコンバレーで事業拡大に向けて活躍されている入住さんに、起業の経緯を始め、数々のお話をうかがった。

プロフィール

お名前
入住壽彦(いりすみとしひこ)さん
現在の滞在国
アメリカ合衆国
業種
経営者・教育アドバイザー
経歴
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。住友商事株式会社に入社し、主計部にて予算・決算・業績管理、IR業務に従事する。米国住友商事での研修を経て、シカゴ大学ビジネススクールでMBAを取得。その後、ゴールドマン・サックス証券株式会社に入社し、投資銀行部門にてM&A、資金調達、PE投資に携わる。退職後、2009年にオンライン教育プラットフォーム「Alpha Academy」を立ち上げる。
Alpha Academy | http://www.alpha-academy.com/

1分で分かる「アメリカで働く」ということ

① アメリカ人は交渉慣れしているため、そこで萎縮してしまわないような自信や知識・経験を持つことが大事

② アメリカで成功するためには、「なぜそれが選ばれるのか」という問いへの答えを持つ必要がある

③ 時には考えないことも重要。自分にとって未知の国でビジネスを始めるリスクを考え始めると、行動を起こせなくなる

-入住さんの現在のビジネスについてお伺いできますか。

「Alpha Academy」では「人の可能性を最大化しよう」をコンセプトに掲げ、学生や社会人に向けて総合的なキャリアサポートを行っています。

世の中には、「自分が目指すべきキャリアは何なのか」「それを実現するためにはどうしたらいいのか」といった悩みを抱えている方がたくさんいらっしゃいます。「Alpha Academy」では、夢の実現に悩みを抱える方々へ進むべき方向性を示し、オンラインで個別サポートを行うことで、成功に導いています。

サポートする領域は、主に「商社や外資系企業への就活・インターン対策」「欧米・アジアトップスクールのMBA受験対策」「TOEFL、TOEIC、GMAT対策」などです。講師は、商社や投資銀行に勤務する方やMBA取得者などが務めていて、現場経験に基づいたアドバイスをお届けしています。

現在は利用者への個人課金で収益を上げています。ただ、仲の良い企業がいくつもありますので、今後は「Alpha Academy」の学生と採用をしたい企業とをつなぐような形での、企業向けのサービスも予定しています。

-その中で入住さんが関わっている部分はどういったところでしょうか。

ひとことで言うと、全体を見ています。主な部分でいうと、講座内容のクオリティコントロールやコンテンツ作成、経営管理全般ですね。

オフィスが東京、サンフランシスコ、ニューヨーク、ロンドンとある中で、これまでは本社である東京のオフィスで業務を行っていました。2015年の9月からはシリコンバレーにオフィスを設置しましたので、そちらへ本社機能を移そうと現地で活動しています。

-入住さんはなぜ今の事業を始めようと考えたのでしょうか?

上から目線だと受け取られてしまうかもしれないのですが、僕がこれまで関わってきた方の中には、「もっと人生を充実できるはずなのに、自分で自分の可能性を狭めてしまっている」方がたくさんいました。僕はそれをすごくもったいないと感じていて、そういう方たちを奮い立たせるような仕組みを作りたいという思いがありました。

僕は住友商事、MBA取得、ゴールドマン・サックスと経験した中で、どの業界でもトッププレイヤーに共通することがあると感じたんです。そういった人たちはみんな、自分のやることに愛情とミッションのようなものを感じていて、それを猛烈にやり遂げるんですね。

これと同じように、「あらゆる人が自分のやりたいことを見つけて、やりたいことをめいっぱいやれる」、そんな世界にしたいということが僕のミッションとしてあります。

-なるほど。それでは入住さんが最初に入社された、住友商事でのお話を伺います。入住さんはなぜ住友商事を選ばれたのでしょうか。

商社を選んだのは、大手メーカーのエンジニアとして月の半分以上を海外で過ごしていた父の影響が一つにあります。世界中を飛び回り、家に帰ってきてからも英語を勉強する姿を見て、グローバルな活躍をすることに興味を持つようになったんです。

また、高校受験での出来事も影響していると思っています。というのも、高校受験の面接対策の一貫として、「将来の目標を聞かれたらなんと答えればいい?」と父に尋ねたことがあったんです。すると「世界中を飛び回る商社マンになりたい、と答えればいいよ」と言われました。実際の面接でもそのままの質問が来ましたので、父の言葉どおりに答えたら合格したんです(笑)。それがずっと頭のどこかに残っていたんでしょうね。

こうした経緯もあり、当時いくつかもらっていた内定の中から、グローバル・ビジネスを行っており最も魅力的だった住友商事に入社しました。

-住友商事ではどういったお仕事をされていたのでしょうか。

入社したころから経営にすごく興味があって、将来は経営者になろうという目標がありました。経営に興味を持った理由は2つあり、どちらも学生のころから感じていたことです。

1つは、自分のアイデアでビジネスをすることに興味があったからです。例えばテレビのCMを見ていると、「自分だったらこうするのに」というプランがどんどん浮かんでくるんですよ。すでに決まりきった中で決まりきったことをやるよりも、もっと大きな枠組みから動かしていきたいという思いがありました。

もう1つは、リーダーシップを取ることが自分の性分にあっていると感じたからです。学生時代も、海の家を一から立ち上げて運営したり、ミス慶應コンテストのプロデューサーとして200人くらいの部員をまとめてたり。こういったことにすごくやりがいを感じましたし、今にも活きていると感じます。

ですから面接のときも、「経営のど真ん中に入れてほしい」という希望を伝えたところ、主計部という部署に配属されました。そこでは、住友商事グループ全体の予算・決算や四半期の業績をまとめてレポートしたり、また、それによって各ビジネスが上手くいっているかを判断したりすることも仕事内容の一つでした。

他にも鉄鋼部門や機械部門、生活物資部門など、それぞれの部門にある経理を束ねる役割も務めていました。その人たちが解決できない問題をこちらで考えるというような社内コンサル的なこともやっていて、どれも知的でおもしろい仕事でしたね。

-住友商事でのご経験で、もっとも印象に残っていることはどのようなものでしょうか。

入社4年目のころに、米国住友商事の研修生に選抜されたときの経験が衝撃的でしたね。ニューヨーク州北部にある鉄鋼の事業会社に送られたんですが、そこで僕の見ていた世界は本当に狭かったんだ、ということに気付かされました。

その会社では、アメリカ人の従業員が約300人いる中で、日本人はわずか3人。工場で働く労働者たちは、ポパイみたいなマッチョな人たちばかりで(笑)。それまでと全く違う環境に戸惑いました。

そして工場で鉄くずを溶かしているところが、また凄まじいんですよ。溶かした鉄がグツグツいっている状態では、その気泡がはじけて何千度という熱を持った鉄が飛んでくることがあるんです。これに当たると火傷どころじゃなくて、本当に死んでしまうんですよ。今まで想像だにしなかった世界が広がっていましたね。

また、それまでずっと経営をやりたいと思っていましたが、いざその会社で経営に携わってみると、今まで学んだことが全く通用しなかったんです。僕が研修で送られた時点で、その会社の業績はすごく悪くなっていて、当時の僕を監督していた上司から「何か打つ手を考えてみろ」と言われたのですが、何をどうしていいか全くわかりませんでした。

僕がそれまで日本で経験していた部署は会計でしたので、「資金繰りをどうする」とか「鉄くずの市場価格が上がったのでどうする」とか、「競合企業に攻めこまれているがどうする」などといったことに、明確な答えを出せなかったんです。

従業員はみんな一生懸命がんばっているのに、どんどん数字は落ちていく。その状況を改善することができず、住友商事はその会社を売りに出してしまいました。その時の無力感は自分の実力や価値観を見つめなおす機会になり、今でも感謝しています。

-日本に戻られてからはどのようなご経験をされたのでしょうか。

米国住友商事での研修では、英語や海外でのビジネス経験を積むことができたと同時に、自分に足りないものにも気づくことができました。それを補うために、次は財務を経験しようと考えていました。その希望が会社に通り、日本に戻ってきてからはプロジェクト・ファイナンスという財務を担当していました。そこでは国内外のプロジェクトに対し、それぞれ資金調達をしていくということが主な仕事でした。

中でも特に印象的だったのが、とあるケーブルテレビの企業を扱った案件です。当時、住友商事を始めとした何社かで、その企業へ2千億円くらい出資していたのですが、このお金を銀行へ借り換えさせるプロジェクトがあったんです。これは、世界中の関連企業から50人くらいが関わる大所帯になりました。

もちろん会話や交渉は全て英語で行われますし、集まっていたのはグローバルで活躍するトッププレイヤーばかりでした。そんななか、普段は日本人が相手だと強気にビジネスができるのに、どこか萎縮している自分に気づきました。それは、プロジェクトにいた他のプレイヤーたちより、英語力だけでなく経営に関する知識や経験が不足していたからなんですよね。

そして、日本人を相手にした場合と世界を相手にした場合とで、こんなにも自分のビジネスの能力に差があるのがすごく嫌でした。これを埋めるためには、「アメリカでMBAを取得するしかない!」と考えたんです。しかも、トップスクールでなければ、揺るがない自信にはならないだろうとも。

それがきっかけでシカゴ大学のビジネススクールを受験し、会社の社費で行かせてもらえることなったんです。

-シカゴ大学でのMBA取得で得られたことはなんでしょうか。

まず、「誰が来ても怖くない」というレベルの自信を十分に得ることができました。世界中から選りすぐりの優秀な人間がひしめく中で、切磋琢磨して2年間勉強するという経験は大きな糧となっています。

そして一番大きかったのは、「自分のミッションに基づいて生きなければならない」ということに気づけたことです。

-そのエピソードを詳しくお聞きできますでしょうか。

僕はシカゴ大学で組織論やマーケティング、ファイナンスなど体系的な経営戦略を学ぶ傍ら、人とのつながりも大事にしていました。実際に、シカゴ大学で日本人同士の交流の場を自分でいくつか設けまして、中には毎年恒例となった企画もあります。その中のひとつに、シカゴ大学に来ている日本人、それも学者や医師、官僚や弁護士など、ビジネスマン以外の方を集めたイベントがあったんです。

そこで出会った医師の方のお話が衝撃的でした。その方は、脳にできたガンを放射線で焼くという技術を大阪大学で研究されていました。それで僕がお酒に酔った勢いで、「いくら技術が進歩してもガンで亡くなる人は減ってないですよね?」と聞いたんです。そしたら彼は「本当に申し訳ないと思っています」と答え、僕は大きなショックを受けました。

それまで僕が出会ったなかで、そんな倫理観や使命感を持って仕事に臨んでいるビジネスマンは、周りに1人もいませんでした。そのときの僕は、住友商事で出世コースに乗っていたのですが、その医師の方と同レベルの倫理観・使命感を持って仕事ができるビジョンは見えてこなかったんです。

-入住さんはその後、シカゴ大学在学中に住友商事を辞職され、ゴールドマン・サックス証券へ入社されたとうかがっております。それはなぜでしょうか。

先ほどお話した件によって、住友商事で働き続けることへの疑問が湧いてきました。ちょうどそのころ、たまたまゴールドマン・サックスのリクルーターとお話をする機会があり、それがきっかけで住友商事を辞めてゴールドマン・サックスを受けようと考えたんです。

そのときは投資銀行を3社受けて全て内定をもらったんですが、ゴールドマン・サックスが最も質実剛健そうで肌にあったので入社しました。ゴールドマン・サックスの方が着けていた時計は、そんなに高くないものだったのも好印象でしたね(笑)。

-ゴールドマン・サックスに入社されてから、起業されるまでの経緯をお教えください。

起業のきっかけとなった出来事が2つあります。

1つは、ゴールドマン・サックスで経験したことが影響しています。僕が担当していた業務の1つに、M&Aがありました。そこでのディールは大きくても2~3千億円が普通なんですが、あるとき2兆円のディールが舞い込んだんです。

仕掛け人はソフトバンクの孫正義氏で、そのときはボーダフォン・ジャパンを買おうとしていました。当時のソフトバンクの事業規模からすると2兆円は破格ですし、ボーダフォン・ジャパン自体も業績が急降下していて、一般常識からすると狂気の沙汰としか思えませんでした。

現場は騒然としましたし、ニューヨークからもバンカーが飛んできて「ソフトバンクはボーダフォンを買えるのか」を計算していたのですが、まず無理だと判断していました。ですが、孫氏はそれを実行したんです。

それを横で見ていて「こんな勝負をしているやつがいるのか」と衝撃を受けましたし、世界にインパクトを与えるビジネススケールの大きさに心が動かされました。その様子を見て僕も、「make it happen」する側に立ちたいと強く思うようになったんです。

もう1つは、経済同友会が主催する起業家養成スクールに参加したことが大きな要因になっています。これは起業家の卵に向けた講座で、H.I.S取締役会長の澤田氏を始め、トップクラスの経営者・事業家が講師をしてくださいました。

期間は3ヶ月でしたが、自分のビジネスプランに対するアドバイスをもらったり、講師と受講者のディスカッションを行うなど、みっちり指南を受けました。そのプロセスで今の「Alpha Academy」のビジネスモデルを作ることができました。そして、スクールを修了後すぐにプランを実現しようと、ゴールドマン・サックスを退職しました。

-そのときの周囲の反応はどのようなものでしたか?

同僚からはすごく珍しがられましたね。投資銀行に勤める人は次のステップとして投資ファンドに行くことが多くて、起業する人の割合はすごく少ないんですよ。当時は数千万円の年収がありましたし、それをゼロにして教育事業を始めるということで、本当に驚かれました。

2008年5月に退職して準備を始めていたんですが、その年の9月にリーマン・ショックが起きました。動くのがもう少し遅れていたら、流れに巻き込まれて辞めるタイミングを逸していたわけです。僕の場合はうまいタイミングで辞められましたので、スムーズに起業まで持っていくことができました。

これは僕の持っていた、見切りの速さやサクサク考える習慣が活きたと考えています。住友商事にいたころは、意思決定が遅れるとドンドン損が膨らんでいくという事例を何度も目にしてきたので、スピーディに物事を判断する習慣が培われていたんです。

-今後の展望はどのようなものでしょうか?

最終的には、教育のドメインで世界一になりたいと考えています。教育のプラットフォームとして「Alpha Academy」が世界中の人に使われ、それぞれの人生の役に立ち続ける。

日本だけでなく、アジア、ヨーロッパ、アメリカ、中南米、それこそアフリカなどの経済的に貧しい国にも広めたい。これは、僕が「Alpha Academy」を運営する上での使命だと考えていて、それが叶うなら僕はいつでも引退していいとも思っています。

現在、多くの投資家の方から投資をしたいというお話をたくさん頂いているのですが、すべて辞退しています。というのも、日本の投資家はまず日本で成長することを投資先に求める傾向があるんですね。ですが、僕はグローバルな方向を目指していきたいので、「Alpha Academy」をアメリカで上場させることを当面の目標としています。

-最後に、これから海外で活躍しようと考えているフリーランスの方に向けてアドバイスをお願いします。

僕はフォーカスされた価値を提供することが重要だと考えています。これは就活生やMBAを目指す人たちにもよく言っていることなのですが、「なぜ、自分が選ばれるのか」という問いへの答えが明確ではなければならない、と。例えばエンジニアの方がアメリカでTwitterやGoogleで働きたいと思うのだったら、この答えとしてふさわしい強力な価値を持っていることが大事です。

これは起業を考えたとしても同様です。アメリカはITの最先端を突き進む国なので、競争が激しいわけです。その競争を勝ち抜くためには、やはり「なぜそのサービスを使ってもらえるのか」という問いがついてまわります。

Instagramを例としてあげると、機能は写真を投稿できるだけ。けれども、その1点が優れていることで世界中で使われているわけです。また、AmazonがECサイトとして世界的に成功したのも、もともとはインターネット書店として抜きん出たものがあったらからです。そして、一旦世界中に広がってしまえばなんでも成功する、という発想がアメリカの発想なんです。

なので、アメリカに限らず海外を相手に勝負をしようと考える方は、1つでいいので「ここは絶対に負けません」というものを持ち、磨きをかけていってください。

もうひとつは、僕が最近感じていることなんですが、考えないということはすごく大事だということ。考えるという行動は自分の過去の経験を読みに行くことなので、自分にとって未知のものについて考えることです。だから考えても結局は、正確な判断を下せるかどうかはわからないわけです。

例えば自分の知らない国に行こうと思ったときに、そこで何が起こるかを考えても過去のデータベースにないから正解は出ないんですよ。なまじ考え始めてリスクばかりが思い浮かんでくると、「じゃあ大変だからやめよう」となってしまう。

だから考えるのをやめて、流れに身を任せて行きたいところに突っ込んでいくというのが、一番の正解だと思っています。

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